群馬での舞台挨拶があるかは分かりませんが、これが最後になるかもしれないので貴重な機会と思い話します。コロンビアの河馬とボリビアの不眠猫という本をご存知でしょうか。
僕は三浦さんの話が持ち上がる前、コロンビアの事を知りたくて本を探していたら、この本を手にできました。演出家が殺されたり、子供の臓器売買をやめさせようとした友達が殺されたり、コロンビアは大変な国だと分かる一方で作者の物語を語る独特の作風に魅了され、次の彼女の本を読み進みチャクラを開いてという本に出会いました。そこにはボリビアで一緒になった夫との日本での苦渋に満ちた生活が描かれていましたが、後半には工場で出会った青年がペルー出身でその青年とスピリチュアルな恋に落ち、ペルー、そのインカの時代まで意識が飛んでいき、工場での単純労働のはずが壮大な時代を行きかうようなストーリーに魅了されました。作者の丸山富美子さんは実際にペルーへ行ったのかは分かりませんが、幽体離脱してチチカカ湖やクスコの石畳に日本の工場から魂だけが飛び立つ様子はコロンビアやボリビアより僕にペルーってどんな国だろうと興味を沸かせるのに十分な物語でした。それからしばらくしてペルーへ行く機会が訪れ、偶然が重なり撮影
し、こうして上映できました。
丸山富美子さんは単にスピリチュアルな話として物語を構成していましたが、これを聞いた人は単にそれが個人のスピリチュアルな話でとどまらず、このように映画まで出来てしまったという事に驚くかもしれません。確かに作家の影響力は知れていて、そんなに多くの人に影響したとは思えません。でもたまたまその本を手にした4年ぐらい前の僕には壮大なストーリーに思えましたし、その本が無ければペルーに行きたいとは思わなかった気がします。
何が言いたいか自分でもよく分からなくなってきましたが、この世は不思議な論理的には僕たちが理解できない偶然や機会によって人生が決まっていくという事も僕は言いたいんだと思います。僕の1作目12月にハバナで会おうの池田敬二さんと二作目の三浦一壮さんの誕生日が同じという事を最近知りましたが、そういう事も同じかもしれません。
メキシコまでは行って知っていましたが、南米に大学を終わって20年たってから行くことになるとは思ってもみませんでした。そしてその出会いは丸山さんが熱中された演劇とも重なり、ペルーのクワトロタブラスという2番目に大きな劇団やラテンアメリカでも重要な演劇の位置をしめるアヤクーチョという場所に行けたという事も何か言葉では言い表せられない不思議な体験のような気がしています。
いま、大学でスペイン語を教わっていた福島先生がNHKのラジオ・スペイン語講座で教えてらっしゃいますが、その先生の話のテキストにスペインの子供教育や子供たちの習慣などが語られています。これも関係ないことのように思えますが、ルス・アルカスというスペインのコンテンポラリーダンスを踊る人が子供連れでアヤクーチョの演劇祭にも参加され、そのインタビューに子供がしきりと登場することでも何故か不思議な縁を感じるのです。それは単に子供を映しているだけかもしれませんが、全ての親の愛情、子供のしぐさ、プロダンサーが見せる一瞬の母親に戻った素の顔、スペインとペルーの歴史など沢山の情報が入っているのです。それはこのバモス・アヤクーチョを1回見ただけでは分からないかもしれませんが、何回もみていく内にもしかしたら気が付く人がいるかもしれません。ペルーはスペインによって侵略され、言葉も文化もなくなりましたが、それを越えてアヤクーチョで演劇祭が行われ、そこにスペイン人が招待されているのです。
時代も空間も歴史も実はいったりきたりして、たまたま僕らはこの時代に生きていますが、実は他の時代にも生きていて過去から僕たちの事を見ているんではないか、そんな感じもしています。どこかの新興宗教のようになってきましたが、映画や文学というのはそんな果てしもない切っても切れない偶然が積み重なった一瞬を切り取って過去や未来から現在の様子を見る不思議な鏡のような役割を果たしていると思います。三浦さんを通じてペルーや時代、演劇、現代という世界を過去や未来にいる人のようにご覧いただければ僕の映画がほんの少し分かる気がします。
今日は寒い中、バモス・アヤクーチョを見に来てくれてありがとうございました。
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